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【ラボ】昭和初期までは「マンチラ」が多発し知り合いの女性のオマンコを見る事ができた 本当にあったエロい話 後編

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さて、前編では昭和初期までの日本では女性はノーパンであり、日常生活でもパンチラと同じくらいの頻度でオマンコを見る事ができたというお話をさせていただきました。

現代の日本では、性行為に及ぶ以外に目の前の女性のオマンコを見る機会というのは中々ないわけですが、昭和初期まではラッキースケベ的に知り合いのマンコを見るチャンスがあったんです。

↓↓↓↓前編はこちら

↓↓↓↓記事を書く上で参考にさせていただいている文献

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そして1930年代後半(昭和10年代)くらいから女性がパンツをはくようはなったわけですが、当時はパンツはエロスの対象ではなく、マンコを隠すための衣類という認識だったというお話もさせていただきました。

さらに時代が移り変わって1950年代・・・

いよいよパンツそのものがエロいものとなっていきます。

■マンコを隠す布でしかなかったパンツ

「パンツが見える。 羞恥心の現代史」の著者、井上章一先生は次のように結論付けています。

女が往来でパンツの見えることを、はずかしがる。男が、以前にもまして、そのことをうれしく感じだす。

以上のような傾向は、1950年代後半に、はじまった。そして、1960年代には、この羞恥心と性感がひろく普及していくことになる。ミニスカートの流行期には、うごかしがたい傾向として、定着した。

これが、私の考えるパンチラ成立史である。

出典:井上章一「パンツが見える。 羞恥心の現代史」

井上先生は非常に多くの資料から、パンチラという概念が広く普及したタイミングを1950年代と定義づけています。

それまでは、パンツが見えても女性はあまり恥ずかしがらないし、一般的な男も、そこまで喜ばなかったらしいんですよね。

電車の中でも女性は股を開いて座っていたし、パンツを履いているから安心という感覚だったというのです。

それではどのようにして、今日のようにパンツはエロスの対象になっていったのでしょうか?

詳細を知りたい方は井上先生の著書を読んでいただければと思うのですが、ここでは概略だけ紹介させていただきます。

まずは男の中で下着に興奮するフェチズムというものが徐々に芽生えていったそうなんですよね。

現在でも、様々なフェチズムがありますよね?

例えば着衣状態の女性の体でも、タイトスカートに浮かぶヒップラインや、シートベルトが食い込むおっぱいなどに興奮を覚える方はいると思います。

スカートの中にはズロースで守られた股間があるだけなのに、そこに興奮を覚える男性もチラホラと増えてきていたようなのです。

しかし、パンチラという概念が決定的にエロスの対象になったのは、ズロースからパンティへの変化が与えた影響が大きいと分析されています。

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現在のように、非常に面積の小さい下着・パンティが一般女性の間に普及したのは1950年代頃だとの事。

前回も少し書きましたが、パンツを着用しはじめた頃の女性は、まだズロースという面積の大きな下着を着用していたのですよね。

その前から存在はしていたのですが、どちらかというと水商売の女性など、セクシーさを売りにする方々が着用しているイメージだったそうなのです。

それが下着メーカーの宣伝や、一般女性たちも下着のおしゃれを楽しみたいという感覚が芽生えていった事で、1950年代に普及していったそうなのです。

そしてパンティをはき始めた女性たちは、スカートの中を隠しはじめます。

それはエロティックな女性の象徴であったパンティを履いている事を隠したいという感覚から生まれたものだと井上先生は分析されています。

■パンティの起源はストリッパーのバタフライ説

現在の面積の小さいパンティの起源はストリップにあるという説を「スカートの下の劇場」の著者、上野千鶴子先生は唱えています。

そこで、パンティのもう一つの起源はストリッパーが穿くバタフライではないか、というのが二つ目の仮説です。

バタフライが意味しているのものは、機能性ではなくて、シンボル性です。

ストリップ・ティーズは、男のもっている女性の身体に対するファンタジーに合わせて、女が演技をします。

そのファンタジーの求心点は当然女性器ですから、その周縁からまわりこんで行って、最後に求心点にストンと入る。その焦らしのテクニックの中で、最後に取り去る小さな布切れがバタフライです。

つまり最後の部分を隠す、取るために隠す装置です。

パンティの起源はそれしかないのではないか、と思えてくる。そうでも考えないと、ブルマー型のパンティからいまのようなタイプのパンティへの変化は、断絶が大きすぎます。

出典:上野千鶴子「スカートの下の劇場」

ストリッパーがマンコを隠すために股間に着用しているものを<バタフライ>と言います。

ストリップですので、当然最後は取り除かれます。

つまり、バタフライというのはマンコを隠す装置でありながら、「ここにマンコがありますよ~最後に取り除きますよ~」と強調するシンボルのようなものでもあるのです。

現在の面積の小さいパンティは、この<バタフライ>を起源としているのではないかというのです。

確かにパンティはその後も進化し続け、紐パンティやTバックなど、マンコを隠すための最低限の大きさにまで矮小化していきました。

隠すための最低限の面積しかなく、しかも性器にフィットした形なので、オマンコを隠しつつも、むしろオマンコの存在を強烈にアピールしているものだとも言えるのです。

元々、水商売の女性などが着用していた下着・パンティ。

そして、前述したとおり、女性器の存在を強調するような下着・パンティ。

とにかく、女性たちはズロースの時代にくらべ、スカートの中身を隠すようになります。

これがパンチラ文化に拍車をかける事になります。

元々、男側にもスカートの中身へのフェチズムというのものは徐々に芽生えつつあった。

そこに女性たちがしきりにスカートの中身を隠すようになった。

隠される事によって、逆にエロスを感じさせるようになり、男たちも女性のパンツを見たいという気持ちが燃え上がっていった・・・という構図なのです。

■隠す事で生まれるエロス

実は隠すという行為とエロスというものは密接な関係にあります。

人は隠されると見たくなるし、そこにエロスが生まれるのです。

例えばアフリカの部族の中にはおっぱいどころか、女性器すら隠していない人たちもいます。

その人たちにとっては、それが日常なので、女性の身体を見る事そのものには、おそらくはエロスは感じないのでしょう。

面白い例で、上野千鶴子先生はこんな事もおっしゃってます。

隠すことによってタブーが発生し、そのことによって隠されたものの値打ちが上がった身体部位に、バスとがあります。

– 中略 –

日本人がブラジャーをはじめた歴史というものはものすごく浅いのです。

ほんの30年ぐらい前までは、日本の女はだいたいどこでも平気で、公衆の面前で胸をはだけて赤ん坊におっぱいをやるというのが普通でした。

おっぱいは母性の象徴で、性的シンボルではありませんでした。

ブラジャーが入ってきたのはごく最近のことで、昔の絵画などをみたら、胸をあらわすことになんのタブー性もなかったことがはっきりします。

– 中略 –

隠せば見たい。

隠すからバストの値打ちが高まる。

隠さなければ別にそのへんに転がっているものですから、なんということはないのです。

出典:上野千鶴子「スカートの下の劇場」

「スカートの下の劇場」が出版されたのが1989年ですので、上野先生のおっしゃる「ほんの30年前」というのは1959年(昭和34年)ごろの事を言っています。

その頃の事は私はわかりませんが、確かにお母さんが公衆の面前で赤ん坊におっぱいをあげていた文化があったとしてもおかしくないですよね。

今ではたしかに赤ん坊に授乳するにしても、別室などで隠れてやるのが普通ではないでしょうか。

親戚の集まりなどで、若いお嫁さんがみんなの前で赤ん坊におっぱいをやっていたらギョッとしてしまいますよね。

女性のバストというものは、完全にエロスの対象になってしまったのです。

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昔はバストを曝け出していたという話で思い当たるのが、海女さんの存在ですね。

海に潜って貝などをとる海女さんが、昔はおっぱい丸出しで海にもぐっていたのは有名な話ですよね。

地方によって時期に差はあるでしょうが、昭和40年代頃までは上半身裸のスタイルが残っていたようなので、上野先生のお話とも合うかと思います。

今の日本人の羞恥心の感覚と、昔の感覚にズレがあった一つの例ですね。

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海女さんのおっぱい丸出しも、今の感覚からは信じられませんが、もう少し最近では銭湯も信じられない作りをしていたものです。

今でも残っている所もあるそうなのですが、昔の銭湯というものは男女の脱衣所を隔てる部分に番台が座っており、空間がつながっている作りになっていました。

今の銭湯はお金は脱衣所の外で受付に払いますよね?

そして脱衣所に入ってからは男女は完全に壁で遮られています。

しかし、昔の銭湯はお金を受け取る番台が脱衣所に入った所に座っていて、番台の位置をはさんで男女の脱衣所がつながっていたという事なんです。

番台が座っている所が少し高くなっているので、お互いの脱衣所をのぞきにくくはなってはいますが、それでものぞこうと思えばのぞけてしまう作りだったというのは今の感覚からは信じられません。

しかも番台はおじさんが座っていた事も多く、女性たちはおじさんの番台に裸を見られながらも、普通に銭湯を利用していたのですよね。

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当時の銭湯の風景というものは中々資料として残っていないのですが、昔のバラエティー番組やドラマなどで多少うかがい知る事ができます。

例えばドリフのコント。

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こちらは女性用の脱衣所をのぞきたい男をコミカルに描いたものですので、番台の位置はかなり低くデフォルメされてはいますが、概ねこのような作りで、のぞこうと思えばのぞけてしまったのでしょう。

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それにしても、このようなコントが残っていたという事は、やはり当時の男の中にも銭湯はエロいという感覚はあったという事なんでしょうね。

それでも当時の女性は普通に銭湯を利用していたわけですが、それに違和感を感じる女性が増えてきた事により、この形式の銭湯は淘汰されていったのではないでしょうか。

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また、ドラマ「時間ですよ」シリーズでもこの形式が確認できます。

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後半のドタバタ劇で女湯に入っていってしまうのは完全にコメディですが、脱衣所で男性客が女性の着替えをのぞこうと思えばのぞけてしまう作りだというのは、リアルにそうだったのでしょう。

今では考えられないほど、エロセキュリティが甘いですね。

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若いお母さんの授乳も、海女さんのおっぱいも、銭湯の脱衣所も、当時からエロいという感覚は多少あったのかもしれません。

しかし、それでも日常の風景として成立はしていたのです。

ところが、時代の移り変わりにより淘汰され、その風景が見られない・・・隠されると、途端にエロくなるのです。

ほんの数十年前まで成立していた日常風景が、現在の感覚からは信じられないほど卑猥な光景になってしまうわけです。

女性がパンティを見られる事を恥ずかしがり、隠し始める事によって、パンティは一気にエロいものへと傾いていったのが想像できます。

■パンティのせいで、余計にエロくなった女性器

現代ではパンチラはエロいものであり、何ならパンティそのものへの性的関心すら存在しています。

では、そんな現代においてオマンコの価値とはどうなったのでしょうか?

おそらく日本において、オマンコが卑猥でなかった時代というのは無いでしょう。

マンチラを見る事ができた明治、大正、昭和初期でも、当然いつでもどこでも見れるわけではなく、オマンコがエロいものであったのは間違いありません。

しかし、パンティにより隠された事で、オマンコの卑猥度はさらに上がってしまったと言えるのではないでしょうか?

現在では、オマンコを隠すパンティですらエロスの対象なのです。

それでは、その奥にある女性器とはどういう存在なのか?

マンチラを見る事ができた時代に比べて、オマンコというものがより価値が高まった・・・つまり隠すことによって、より卑猥なものになったのではないかと、私は思うのです。

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■女がパンツを穿く事でノーパンという価値が生まれる

女性がパンツを穿くようになってから20年後、パンチラはエロスとして昇華します。

そしてそこからさらに20年後・・・1970年代後半から1980年頃にかけて、日本では画期的な風俗店が誕生します。

それが、あの有名なノーパン喫茶です。

その名の通り、ウエイトレスがノーパンな喫茶店なわけですが、短命ながら一代ムーブメントを起こした伝説の風俗です。

お店によって値段は違うでしょうけど、一杯1,000円のコーヒーで30分居られるくらいの価格帯だったそうで、現在のメイド喫茶とかよりは少し安いくらいのイメージでしょうか。

また、ノーパンとは言いましても、初期のスタイルはノーパンにパンストをはくというスタイルだったそうですね。

ノーパンには間違いないのですが、そのためにハッキリとマンコが見えまくるというわけではなかったと言われています。

それでも床に鏡が設置されていたり、ウエイトレスが短めのスカートをはいていたりして<マンコが見えるかも>という期待感を感じさせる演出がなされていたそうなのです。

特にスカートの後ろ側は非常に短くなっていて、ウエイトレスがコーヒーを置く際に前屈みになった瞬間に、オマンコが見えた見えないと盛り上がるようなのです。

ただ、現実はお尻は丸見えだとしても、中々マンコは見えなかったのでしょう。

それでも見えたと豪語する客もいたとか。

オマンコが見えた/見えなかったで一喜一憂する男心を巧みにくすぐる名風俗と言えるでしょう。

ちなみに最初はノーパン・パンストというだけでしたが、ほどなくしてトップレスでおっぱいは丸出しという店も出てきます。

やはりマンコはそうそう見れるものでなく、せめてお尻やおっぱいは拝ませて、お客さんにリピートしてもらおうという配慮だったのではないでしょうか。

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さらに後々になってサービスが過剰になってくると、パンストもはかない店も出てきたのだとか。

それでもワレメの部分に細長い前貼り(スジだけに貼るスジ貼り)を貼ったりしていたそうなので、完全にモロ出しはやはり法的にアウトだったのでしょうね。

初期のノーパン喫茶も、パンストはいてて見せそうで見えないからギリセーフだったという事でしょう。

しかし過激になるノーパン喫茶を何とか検挙しようと、警察も意外なところを突いてきたお話が残っています。

当時は陰毛を見せるのもNGで、ヘアヌードが解禁されるより10年近く前の時代です。

そこら辺は店側もわかっているので、女性たちにはマン毛を剃らせて、その上でワレメだけに前貼りをしていたわけです。

ところが警察が「髭と同じように、陰毛を剃ってもすぐに生えてくるので、剃った跡にも陰毛が存在している」という主張をしてきて、陰毛を露出したとして検挙しようとしてきたそうなのです。

要するに毛穴にミクロな陰毛が残っているじゃないかと、、、

何とも無茶苦茶な理屈ですが(笑)

マンコを見せてないので検挙できず、別の理由で何とかしようとしたのでしょうね。

ただ、結局はその議論に決着がつく前に、風営法の改定によってノーパン喫茶の業態が存続が難しくなり、ノーパン喫茶が衰退する事になります。

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話がそれました。

このノーパン喫茶という業態が世間で大人気になり、お金を払ってまで人が殺到したのは、女性たちがパンツをはいてマンコを隠し始めたからに他ありません。

一昔前までは女性たちはみんなノーパンであったため、ノーパンである事には特に価値は存在していないかったわけです。

ところが、女性がパンツをはきはじめて40年。

マンチラを見る事ができなくなった時代の男達は、マンコがはっきりと見えるわけでないのに、見えるかもしれない、見えた気がするという事に一喜一憂してお金を払っていたのです。

もちろん、全女性がノーパンだった時代も、マンチラに価値はありました。

マンコはエロいもので、男たちは見たいと思っていました。

しかし、ノーパン喫茶の時代では女性がパンツを穿いていない・・・ノーパンという行為そのものにもエロスを感じていたように思えます。

■隠す事で逆にエロスは加速する

ここで、上野先生のお言葉を引用させていただきます。

日本のポルノグラフィーにビニ本文化が果たした役割は、きわめてユニークだと思います。

ビニ本文化が、というよりは、ヘアと性器を見せてはならないという日本の倫理コードの役割、といった方が正確ですが。

日本のポルノグラフィーは欧米と比較しても異様に猥褻な感じを与えます。

– 中略 –

ここでは猥褻なのは、現実ではなくて、妄想のほうです。

言いかえると、猥褻なのは真理であって肉体ではないのです。

現実よりも想像のほうが猥褻であり、肉体よりも心理のほうがつねに猥褻です。

だから、宇能鴻一郎や川上宗薫のポルノを読むと、実際の性行為描写ではなくて、心理描写のほうにずっと猥褻感を感じます。

そのときに女がどう感じたとか、どう言ったとかいう部分にです。

– 中略 –

性器・性交を見せない日本のソフト・ポルノの猥褻さは、ハードコアに慣れた西欧人も驚く国際水準ものです。

その「表現力」を思うと、どうやら作りてはパンティを脱がせたくなかったのではないか・・・脱がせてしまえば、そこにあるのは、ただのあっけらかんとした性器ですから・・・パンティで覆われたボディの方が、むき出しのボディよりずっと猥褻だ、という事を知っていたのではないかとさえ思えます。

出典:上野千鶴子「スカートの下の劇場」

この文章が書かれたのが1989年なのですが、現在に至っても未だに日本では性器の露出は違法とされています。

上野先生が取り上げたのはビニ本(いわゆるエロ本)ですが、現代のAVでもモザイクは必須です。

これだけインターネットが浸透し、いくらでも無修正のものが見れるのに・・・です。

しかし、このオマンコを見せてはいけないというルールが、むしろ日本のAVのレベルを上げてきたと、私もかねてより考えていました。

実際、海外のポルノ動画より、日本のAVはバラエティーに富んでおり、非常にエロいです。

2000年代に入ってからは、カリビアンコムなどが無修正、かつ日本人の出演するAVをネットで販売しはじめ、オマンコが見れるとして一時代を築きましたが、それでもモザイク入りの正規AVは無くなりませんでした。

オマンコを見せて良いのであれば、オマンコを見せて終わりですが、見せていけないからこそ、様々な工夫を凝らすようになります。

それはシナリオや設定の妙であったり、モロとは対極を成す「着衣」や「マンスジ」などのフェチズムを生み出してきました。

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もちろん男達はオマンコが見たいのですが、見せられないルールがあったからこそ、その他の部分で尖った別のエロスが発展しました。

私は今のネットの時代に、モザイクはナンセンスであり、今すぐ無修正を解禁すべしという考えではありますが、これまでの日本で性器の露出がNGだったからこそ、ここまで日本のAVが発展したという事実は無視できないと思っています。

エロは隠せばよいものではないのです。

エロは隠せば隠すほど、逆に過激に醸成されるものなのです。

そして、そのスパイスとなるのは、常に人の妄想なのだと再認識させていただきました。

妄想というのはこのブログのテーマでもあります。

■オナニーのオカズにおいて妄想は最高のスパイス

ノーパン喫茶に熱狂した昭和の男たちも、ある種の妄想に浸っていたのでしょう。

ストリップに行けばマンコも見れるし、ソープランドに行けばセックスもできる。

しかし、ハッキリとは見えないノーパン喫茶に行くのは「あの子のアソコが見てみたい」という、中2的なエロスに近いものだと思うのです。

クラスの女の子を妄想の中でオナペットにしていた、卒業写真をオカズにオナニーができた、あの頃のエネルギーですね。

日本のAVのレベルの高さ、多様性に感謝しつつ、私たちも妄想を掻き立てるという大切さも忘れてはいけないのだと思います。

これはオナニーに限らず、セックスにも言える事だと思います。

単に肉体的な快楽だけを追い求めるのでなく、お互いの性癖を盛り上げる演出・・・それがセックスの醍醐味です。

なるほど、かつての日本では知り合いの女性のマンコを見るチャンスがあったのは素晴らしい事です。

もしもタイムスリップして、その時代に行くことができたら、天国でしょう。

しかし、今の時代に生まれていなかったら、私はここまで女性のオマンコに固執していたかはわかりません。

今の、オマンコが中々見れない時代だからこそ形成されたのが、今の私の性癖だからです。

昔の女の人は、知り合いにオマンコを見られていた・・・という妄想に浸りつつ、今日もオナニーにふけりたいと思います。

■最後に・・・フェチ動画の紹介

ここまで長文にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

最後にお詫び(?)として、普段中々取り上げる事のないフェチ系の無料サンプル動画をご紹介して終わりたいと思います。

妄想をスパイスにご堪能ください。

まず紹介するのは「女子校生 逆立ちマンモロ」という作品。

女の子がノーパンのまま逆立ちをするだけのフェチ作品です。

当然、マンコにはモザイクがかかっているのですが、ノーパンで逆立ちをしているというシチュエーションそのものにフェチズムを感じさせてくれる作品です。

不思議とマンコが見えなくても、スッポンの下半身が露出されるだけでもエロいんですよね。

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ちなみにこちら、すでに動画配信自体は存在しておらず、本編に興味を持った方はDVD通販でしか購入する方法はないのでご注意ください。

リンク先で無料サンプル動画は見れますが、購入する場合はDVDとなってしまいます。

【↓JADEにて無料動画再生】

※JADEへのリンクは別タブで開かないので、記事の続きを読む場合は戻ってきてください。


続いては、同じくノーパンで逆立ちするだけの動画。

「逆立ちノーパン女子校生」という作品です。

こちらも先ほどと基本的には同じような内容ですが、野外でやっている点が違います。

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こちらの作品はネット配信でも購入できるので、もしも本編に興味を持った方がいたら、こちらのほうが手に入りやすいですね。

また、シーン毎の分割購入にも対応しているようです。

【↓JADEにて無料動画再生】

※JADEへのリンクは別タブで開かないので、記事の続きを読む場合は戻ってきてください。


続きましては、、、

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」とはマリー・アントワネットの言葉ですが、マンコが見せられないならオヘソを見せればいいじゃないとばかりに女の子のヘソにクローズアップした作品です。

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「素人へそ撮りコレクション VOL.5」という作品になりまして、結構かわいい子たちが出てきて、ヘソをいじられます。

へそフェチの方にはたまらない内容だと思いますが、ヘソってある意味マンコみたいなもんですからね。

女の子たちがヘソゴマを掃除される姿は興奮ものです。

【↓DUGAにて無料動画再生】


4本目もヘソフェチ動画、、、「素人へそ撮りコレクション 4時間29人BEST」です。

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色んな女の子たちがこれでもかというほど、オヘソをほじくられてます。

本編に興味を持った方で、ボリューミーなものがほしいというコスパ重視の方はこちらが良いと思います。

【↓DUGAにて無料動画再生】


5本目はパンツフェチ用の作品です。

その名も「パンティの質感・匂いも味わえる! スカートの中 超接近&超接写挑発」

女の子たちが積極的にパンツを見せつけてくれます。

いわゆるパンモロ作品ですね。

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特にスカートの中に忍び込むようなアングルのシーンは良かったですね。

スカートの中、、、絶対不可侵の男子禁制の領域ですから、単にパンツが見れるより興奮しました。

<スカートの中の空間>というそのものがフェチズム化していると言えるでしょう。

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【↓DUGAにて無料動画再生】


最後はこれぞ日本が誇るフェチズム・・・マンスジ作品です。

マンスジフェチというモノは、女性器が見れなかった日本だからこそ発展したフェチズムでしょう。

私も何度かブログで書いているようにマンスジフェチでして、マンコが見えているよりも、見えていないマンスジのほうに強いエロスを感じるのです。

紹介するのは「NOモザイク!!限界ギリギリ!!超接写!!着衣まんこ メコすじコレクション 12人4時間」という作品です。

女の子たちが衣服をマンコに食い込ませて、マンスジをこれでもかと見せつけてきます。

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日本でもマンスジは合法なわけですが、本当に理解不能ですよね。

マンコの形がわかってしまうほど密着していても、クリトリスが浮き出ていても、布地で覆われているならOKなのです。

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確かに現代ではマンチラは見れなくなったかもしれませんが、女性が体に密着した衣類を身に着けるようになったため、マンスジを見る機会は格段に増えたかと思います。

そういう意味ではマンスジフェチの私にとっては現代のほうが天国なのかもしれません。

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【↓DUGAにて無料動画再生】


こちらで以上になります。

ちなみに私事ですが、最近忙しく、相変わらずブログの更新が滞っております(;^_^A

いくつか更新のネタは見つけていますので、また気長に待っていてくださいませ。

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