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【ラボ】昭和初期までは「マンチラ」が多発し知り合いの女性のオマンコを見る事ができた 本当にあったエロい話 前編

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一昔前、、、

昭和のはじめ頃までの日本では一般女性のパンチラならぬ、マンチラを見る事ができたという事実をご存じでしょうか?

特殊な風俗の話?

・・・ではなく、普段の生活の最中に、知り合いや通りすがりの女性のオマンコを見る事ができたというお話なのです。

今回はかつての日本のマンチラ文化について書いてみたいと思います。


ちなみに今回記事を書く上で参考にした文献は以下の2冊です。

どちらもとても興味深い内容でした。

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現在でもパンチラというものを見る機会はありますよね。

風の強い日に街を歩いていると、ラッキースケベのいたずらな風が女性のスカートを捲ってくれるシーンに遭遇した経験は皆さんも何度かあるのではないでしょうか。

もしくは無防備な女性がパンツを晒してしまったり、階段の下からたまたまパンツが見えるアングルに出会ったり・・・

もちろんそれをガン見したり、パンツを見ようとしてノゾキをするのは問題がありますが、意図せずににたまたま偶然ラッキースケベに遭遇するという事が稀にあるかと思います。

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それはパンチラだったり、ローライズを履いた女性のケツのワレメだったり、、、

現在ではせいぜい胸チラくらいが最上級なわけで、女性のオマンコを偶然見てしまうという事は滅多にありませんよね。

というか、そんな機会に遭遇するという事は人生で一回も無いか、あっても数回程度でしょう。


■ただのオマンコと知り合いのオマンコの違い

もちろんネットでオマンコそのものを見る事はできますよ。

オマンコの形が知りたければ検索すればいくらでも見れるわけです。

また、セックスをする際には当然見る事になります。

しかし、知り合いの女性のオマンコだったり、知り合いでなくとも通りすがりの女性のオマンコは中々見る事はできませんよね。

オマンコの形を知る事はできても、目の前の女性がどんなオマンコをしているのかは深い仲にならない限りは知る事ができないのです。

現代の日本では、ラッキースケベでオマンコを見る事はほぼできません。

その為、私たちは一生の間に出会う女性の内、大半の女性のオマンコを見る事なく死んでいくのです。

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先ほど少し触れましたが、オマンコを見る事ができる一番わかりやすいシチュエーションはセックスでしょう。

男性側がよほどマグロでない限り、チンコを挿入する際などに相手のオマンコを確認してから行為に及ぶ事になると思います。

そして、セックスをするという段階になって、初めてその人のオマンコを見るというのがほとんどではないでしょうか?

逆に、セックスをするような間柄ではないのにオマンコを見たことがあるというケースは非常に稀という事になります。

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■セックスをしていないのにマンコだけ見た経験

私の場合、小学校に入学するより前に幼馴染の女の子のオマンコを見たというのが初めてマンコを見た経験です。

ただ、正面からマンコの隅々までガン見したというよりはチラ見でスジマンを拝んだという感じですね。

それは真昼間に公園で二人で遊んでいる時でした。

公園の端の草むらあたりで、その女の子に「ちょっと後ろ見てて」と言われたのです。

真面目な私は約束通り後ろを見ていたのですが、どうしても気になってその子のほうに振り返ってみたのです。

すると、、、

その女の子は真昼間の公園で堂々と用を足していたのです。

今ではあまりない事だと思いますが、牧歌的な時代ですね(笑)

その時に、女の子の股間の前のほうには、まるでお尻のワレメのようなものがつながってるんだなと思った事を覚えています。

まさに友達のマンコを見た瞬間です。

ちなみにその子とはお風呂なんかも一緒に入っているので、もっとちゃんとマンコを見ているはずなのです、その時の光景はあまり記憶に残ってないんですよね。

お風呂に入っていたという事実だけは記憶しているのですが、まだ女の子の性器というものを意識していなかったためだと思います。

実際、公園での事件の時も、興奮したというよりは、外で何してるんだよという面白い感情のほうが強かった気がします。

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このように、オマンコを偶然見るには、女の子本人にパンツを脱いでもらうしかありません。

・・・そうです。

日常にマンチラが発生していた時代というのは、女性が股間に下着を着用していなかった時代の話なのです。


■昭和初期までノーパンが当たり前だった日本人女性たち

そもそも女性がパンツをはくようになったのはいつなのでしょうか?

江戸時代とか、大昔に着用していなかったであろうことは、皆さんもなんとなくわかりますよね。

実は女性がパンツをはくようになったきっかけとして白木屋デパートの火災という事件があります。

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1932年(昭和7年)に起こった大規模な火災なのですが、当時の女性の多くはノーパンだったため、高い所からの脱出時に下の野次馬にマンコを見られてしまう事を懸念して、誤って落下してしまったというのです。

そして、その事が原因で、もしもの時のためにパンツ(この時代はパンツでなくズロースですね)をはくという文化が女性たちの間で広まったという事なのです。

これは東京消防庁のHPに掲載されているくらい、非常に有名な話なのですよね。

・・・ただ「パンツが見える。 羞恥心の現代史」の著者、井上章一先生は白木屋の火災が原因でパンツ(ズロース)が普及したという説については否定されています。

当時の様々な資料を読み解いた上で、ロジカルに否定されているので、非常に説得力のある面白い内容となっています。

ぜひその内容は著書のほうで読んでいただければと思うのですが、ここで注目したいのはパンツが普及するようになった原因ではなく、その時期です。

パンツの普及の時期については井上章一先生も1930年代後半と解説されています。

つまり、昭和初期までは女性はノーパンだったというのは紛れもない事実なようなのです。

昭和初期って、結構最近の事ですよね。


■見られたら恥ずかしいけど「仕方ない」という感覚

現代でも偶然パンチラに遭遇するようなラッキーがあるというお話はしましたが、ノーパンの時代であれば必然的にそれがパンチラではなくマンチラになるわけです。

パンチラと同じくらいの頻度でマンコを見れたとしたら、それはものすごい事ですよね。

でも、マンコを見られてしまって、当時の女性たちはどう思ってたか、気になります。

マンコを見られてしまうって、現代ではあり得ないくらい恥ずかしい事ですからね。

何せ、嫁入り前にマンコを見られたから、その人と結婚しようとする漫画があるくらいですから(笑)

と、ここで井上先生が面白い分析をされています。

私はつぎのように言い切ってかまわないと、考える。

パンツをはかない時代の女は、しばしば局部が人目にさらされた。

突風がふいた時、低い位置からの視線がとどくような高い場所にいた時・・・。

そのほか、様々な機会に、陰毛などを男たちからのぞかれた。

もちろん、大半の女たちは、それをはずかしがっている。

いかし、現代女性が陰部をのぞかれた時ほどには、ことごとしく考えない。

日常生活ではありがちな、しようがないこととして、心の中でも処理していた。

なんといっても、屋外で小用をすますことさえ、しばしばあったのだから。

出典:井上章一「パンツが見える。 羞恥心の現代史」



井上先生がこの結論に至るのも、様々な検証の結果なのですが、そこは今回は割愛いたしますので、興味がある方は本編でご確認ください。

要するにマンコを見られてしまうというのは恥ずかしい事ではあったけど、まあ仕方ないというレベルだったのではないかという事なのです。

現代だって、イタズラな風などではなく、女性本人の無防備さからパンツを晒してしまう事はありますよね。

パンツを晒してしまって、それを男にじっと見られている事に気づいたのであれば、慌てて隠すでしょう。

ただ、100%確実にパンツを隠そうと思うのであればそもそもスカートなんて着用できません。

それでも女性はスカートを履き、時には無防備にパンツを晒してしまう事すらあるのです。


それと同じように、当然見せたくはないけど、見えてしまったら仕方ないという感覚で、当時の女性たちはオマンコを晒してていたのではないかという事なのです。

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ちなみに当時の<マンコ見え>シチュエーションについて、井上先生が過去の文献などから、色々なエピソードをご紹介されています。

その中から気になったものをピックアップしてみます。

■防災訓練でマンコを見られるOLたち

まずは浪曲師の玉川一郎さんの証言から。

こちらは昭和9年の出来事、、、つまり白木屋火災から2年ほど後の事になります。

「白木屋は七年でしょう。ぼくは九年にコロムビア(レコード宣伝部)に入ったわけだ。」

「そのころ、東拓ビル(旧コロムビア本社)で防災訓練をやったんだ。」

「ズック袋(救命袋)から降りてくるのを見ると、やっぱりはいてなかったよ。」

「降りてくる和服の女事務員たちが、ずっとまくれちゃって見えたですよ。」

「白壁にコウモリが、とまってるようなかっこうでね。」

出典:「日本ズロース発達史への証言」『噂』1973年5月号



白壁にコウモリとは、丸見えになったマン毛がコウモリのように見えたという意味ですね。

白木屋火災で股間丸見えだから命を落とした女性がいたと言われているのに対して、たかが防災訓練でマンコを同僚たちに見られちゃってるという証言になります。

防災訓練ですから、事前に行われて、救命袋に入る事もわかっていたはずです。

それなのに、マンコが見られる可能性を認識していたにも関わらず、ノーパンで訓練に参加していたという事になります。

つまり当時は、女性側にも「見られてしまっても仕方がない」という感覚があったのではないかという事がわかります。


■土手の上でしゃがむ女たちの丸見えマンコ

また、昭和の名優・森繁久彌さんの回顧録に面白いお話があります。

それは河原で映画の撮影をする際は、見物人の女性たちのオマンコが丸見えだったという話です。

・・・河原での撮影で、現物人たちが土手の上に集まります。

その女性たちはしゃがんでみているわけですが、役者やスタッフは土手よりも低い位置にいるため、その陰部が丸見えになっていたというのです。

この<しゃがむという行為でマンコが露出>するというのはよくあるシチュエーションのようで、他にもこんなエピソードがあります。


■幼い女の子をしゃがませてマンコを拝む

高橋義孝氏の自伝「ヰタ・セクスアリス」にこんなエピソードが記載されているそうです。

「ぼくはひとりの女の子に、ぼくの方を向いてしゃがみこませて、着物の前をすっかりまくらせる事に成功した・・・大正六、七年頃のことだから、どの子のも下着などはつけていない」

出典:高橋義孝「ヰタ・セクスアリス」



大正6、7年頃という事はパンツが普及する20年ほど前の事ですね。

森繁久彌さんのエピソードでは河川敷と土手という高低差がありました。

その為、見学している女性たちもマンコをのぞかれている事に気づかなかったかもしれません。

高低差などない、通常のシチュエーションであれば、大人の女性もそれなりに警戒はしていた事でしょう。

しかし、まだまだ警戒心の薄い幼い女の子の場合は、このように男の誘導で無防備にオマンコを晒してしまう事もよくあったようなのです。

幼い子がマンコを晒してしまう様子についてはこんなエピソードも紹介されています。

「ちっちゃかったあたしが椅子の上に乗っかって、お行儀悪く足をふんばって、母親の方をのぞき込もうとすると、当時の子どもはパンツなんかはいていないもんだから、お下(しも)が見えるわけ」

「それがおかしかったんでしょうね・・・その西洋人が五銭くらいの銅貨をパチンと机の上に置いてあたしにくれたの」

「その音、覚えている」

出典:佐多稲子「年譜の行間」



作家の佐多稲子さんご本人の回顧録ですが、この西洋人が日本人の女の子がノーパンでマンコを晒している姿をニヤニヤと面白がっている姿が想像できます。

当時の西洋では女性がパンツを着用する文化はすでに浸透しています。

そのため、この西洋人はさぞ日本人の女の子の様子がこっけいに映ったのではないかと、井上先生も書いてらっしゃいますね。

また、今度は逆に日本人の男と西洋人の少女の間のエピソードについても、紹介されています。

原比露志の随筆「大人だけのお話」から井上先生が抜粋した部分です。

原は東京の麻布にすんでいた。家のそばには、外国人の家族が滞在していたらしい。そこには、二人の娘、「11、2と7、8才の女の子」が、いたという。

ある時、姉のほうが、原少年の前ですわりこむ。「なにかの拍子でパッと砂利の上に両ももを開いてしゃがんだことがあ」った。

あそこが、見えるかもしれない。そう思ってのぞきこんだ原少年は、しかしはぐらかされることになる。

「ももはつけ根まで見えても、肝心の腰際地帯は真白な薄い布でうまく覆われている・・・西洋人はみんなああいうものをはいているんだなと思いながら、見せそうで見えないスリルに目を奪われて、少年の想像力を、彼女のお尻の大きいママにまで及ぼしていた。髪の毛が栗色ならば・・・なんぞと」

出典:井上章一「パンツが見える。 羞恥心の現代史」



この事から、やはり当時の日本人の男たちの認識では、女がしゃがむとマンコが見えるという認識があったという事になります。

また、逆に言うとマンコじゃなくてパンツが見えたらがっかりしてしまうという感覚もあったという事なのです。

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■パンツはエロいものではなかった

マンコが見れると思ったらパンツを履いていてがっかり・・・

実はパンツが普及してしばらくは、パンツというものはエロスの対象ではなかったというのです。

現代ではパンツが見えるだけで、とてもエロチックですよね。

しかし、当時のパンツ(ズロース)は、あくまでエロスの対象である女性器を隠すための布という認識だったのです。

かつての女たちは、スカートが風でめくられても、さほど気にしなかった。電車のなかでも、スカート姿でありながら、しばしば脚をひらいている。パンツをのぞかれるのがたいへんはずかしいという感情は、まだめばえていなかった。

男たちも、今日ほどには、そのことをよろこんでいない。パンツが見えても、それほど動揺しない男は、たくさんいた。服の裾がまくれ、パンツがのぞくと、がっかりする。陰部の見られないことを残念がる感覚さえ、けっこうあとまで残存したのである。

出典:井上章一「パンツが見える。 羞恥心の現代史」



女性がパンツを着用するようになっても、まだまだ現代のような面積の小さいパンティーではなく、モモあたりまで覆うズロースという形状のものでした。

確かに現代のパンティーほどには、その形状はエロスは感じさせないのかもしれません。

それでも、現代の女性だってズロースだったらスカートがめくれても大丈夫!とは思わないでしょう。

形状はともかくとして、下着は下着なのですから。

しかし、女性がパンツを着用しはじめた頃の日本では、パンツをはいていればマンコが隠れるからスカートがめくれてもOKという感覚があったというのです。

井上先生が過去の文献などからいくつか例を引用しています。

・電車の中ではパンツが見える事を意に介さず、若い女性も股を開いていた

・パンツが見えるかもしれない危険があるのに、ずれたパンストを直すために女性が路上でスカートをめくっていた。

・スカート姿で綱引きをして、パンツが見えても気にしない女性たち

・脚のコンクールで、ステージ上で脚線美を見せるため、パンツが見えるほどスカートをめくる女性。


女性自身も恥ずかしさを感じていないし、社会の通念としても、パンチラ = スケベなものという認識がなかったというのです。

今でもビキニはOKでもパンティーはNGという感覚はありますよね。

当時の女性のパンツとは、今日の水着やスパッツのような感覚に近かったのかもしれません。

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今日のようにパンツがエロいという感覚が社会的に浸透するのは1950年代に入ってからと、井上先生は解説しています。

少々長くなってきましたので、後半に続きます。

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Last Modified : 2021-09-05

コメント







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モウソウさん

Re: 水泳の授業前後の着替え

>名前

> スカートをめくって一瞬パンツを見せ、「あーっ、エッチー!」
> と通行人を指差し、自作自演で糾弾していたのです。

真意はわかりませんが、少なくとも一人ではできないですよね。
複数いれば冒険できるというのはまさにそうなのかもしれません。

2020-11-25-00:26 モウソウさん
[ 返信 * 編集 ]

水泳の授業前後の着替え

私のところは、男女ともスカート状のタオルを着て
教室で着替えていたのですが、それを着用せず着替えた
男子がいて、女子の苦情を受けて叱られたりしてましたけど…
>謎にクラスの女子たちが男子更衣室の外で着替え出した事があったのです。
うーん謎!…露出してみたかったか男子を困らせたかったか…

女子「たち」ってのがポイントで、複数なら
大胆な冒険ができる、ということなのかも?

小学3年か4年のときの休み時間、女子が二人、
痴女っぽい行動をしていたことがありました。

学校の階段脇で並んで立って、人が通るときに自分らでサッと
スカートをめくって一瞬パンツを見せ、「あーっ、エッチー!」
と通行人を指差し、自作自演で糾弾していたのです。

終わりの会のときに糾弾したら、真っ赤になって
笑ってましたが、放置しといて再犯を待ち、
陰からガン見しとくのが正解だったのかも…
2020-11-23-03:57 名前
[ 返信 * 編集 ]

モウソウさん

Re: 加太こうじ『少年画家ひとり町をいく』(ポプラ社、1977年)135-138頁でした

>名前

貴重な情報ありがとうございます。


>「見ている男の子がわるい」

この発言で思い出したのですが、私の小1だか小2のプールの時間の思い出です。

プールの脇にはちゃんと更衣室があるのですが、謎にクラスの女子たちが男子更衣室の外で着替え出した事があったのです。

我々男子は恥ずかしくなって、男子更衣室から出れなくなったのですが、その時も「見るほうが悪い」とかいう謎の理論を女子たちが言っていました。

今なら堂々とガン見するでしょうけどね(笑)
2020-11-22-06:31 モウソウさん
[ 返信 * 編集 ]

加太こうじ『少年画家ひとり町をいく』(ポプラ社、1977年)135-138頁でした

1932年、東京の尾久、全校自治会での出来事です。
ある男子生徒から、「ナワとびは、スカートがまくれて、
ズロースがみえるからエロである。学校でエロはいけない」
との理由で、女子の間で流行った縄跳びの禁止提案が出る。
女子の主張は「そういう、女の子の遊びを制限するような
提案には反対」「見ている男の子がわるい」。
提案者男子の反論は「見えるものはしかたがない」。
ここで、男子である加太らのグループは、多数決を提案。
男女比では女子が少なかったが、加太らのグループが女子に
同調して「縄跳び禁止」の提案は葬られるという「なわとび事件」。
また138頁には、「リレーのとき、ズロースのゴムがきれたのを
左手でおさえて」最終走者につなぎ、優勝をとった美人女子の話も。
2020-11-15-21:33 名前
[ 返信 * 編集 ]

モウソウさん

Re: J-STAGEに載っていた論文も参考になるかも?

>名前

ありがとうございます!

1933年頃に若い世代で半々だったという事は、やはりパンツが常識になるのはもうちょい後の30年代後半なのでしょうね。

後半の記事でも書きましたが、パンツ = エロ という概念が浸透するスピードは男女で差があったようなんです。

先に男のほうがズロースに興奮するようになっていったようなので、その過渡期には女の子は平気でズロースを見せていたけど、男にはオカズにされていたという現象が起こっていたかもしれません。

すごい時代です(笑)
2020-11-08-10:25 モウソウさん
[ 返信 * 編集 ]

J-STAGEに載っていた論文も参考になるかも?

佐賀フサ「本邦各地方の氣候と衣服着方に關する調査」『家事と衛生』
9巻6号(1933年)pp. 10-20 のp.10によれば、女子和服の場合は
16歳-24歳 ズロース50% 腰巻50%
25歳-55歳 ズロース10% 腰巻90%
56歳以上 腰巻100%
とのことで、1908年頃より前の生まれ・かつ和服の場合は、
腰巻が普通だったようです。

ただ、戦中生まれくらいの誰かの自伝で見たのですが、
学校で女子の間でゴムとびが流行っていたのに対し、
「ゴムとびはスカートがめくれてズロースが見えるから
エロである、学校でエロはいけない」として告発した男子が
いたという事件が紹介されていて、そのあたりまでには
パンツ=下着=見せない、という意識の変化が(少なくとも
その人のいた地域では)完了していたようです。
2020-10-31-11:49 名前
[ 返信 * 編集 ]